喜界島は、周囲僅か48.6キロメートルの小島でありますが、50万年から1000万年の間に陥没、隆起を3回繰り返し現在の喜界島の原型ができたといわれています。
全島が隆起珊瑚礁からなる周囲48Kmあまり,山らしい山のない「お皿」を伏せたような形の小さな島です。
喜界島は文政元年(西暦1466年)の琉球王の喜界島侵攻からおよそ150年間琉球王の統治下にあったが、慶長14年(西暦1609年)の島津藩の琉球侵攻の結果、琉球から分割されて島津藩に属した。
藩政時代には代官所が置かれ、代官の下に六間切に分け大親役(後に与人役から横目に代る)をおいて島政を行なわせた。
明治2年、代官所を在番所に改め喜界島六間切は三間切になり、それぞれ戸長をおいたが、明治19年、間切制度を廃し湾方、早町方の二村に改め戸長をおくことになった。
明治41年、島しょ町村制の施行によって両町村が合併喜界村と称した。大正8年喜界村、早町村の二ヶ村に分村し、昭和16年喜界村は町政を施行した。
昭和21年米軍覚書によって本土と行政分離されたが祖国復帰の悲願達成を叫びつづけ遂に昭和28年12月25日完全祖国復帰を実現した。同年施行された町村合併促進法に基づき、昭和31年9月10日両町村が合併、喜界町が誕生した。
|
オオゴマダラ蝶は、マダラチョウ科で、羽には白地に黒のマダラ模様、羽を広げると15センチメートルもある大型の美しい蝶で優雅に舞う姿から“南の島の貴婦人”とも呼ばれている。 食草のホウライカガミ(キョウチクトウ科)とともに喜界島が北限と見なされている。 町は<オオゴマダラ保護条例>を制定。平成元年3月24日公布した。 |